天野宗歩 棋譜集

棋聖宗歩『王手 ここ一番の勝負哲学』升田 幸三より

 目の不自由な人の将棋というのは、俗に”目かくし将棋”という、あの指し方ですね。

 よく目明きの棋士が余興かなにかで、盤も駒もなしに目をつぶりながら、2六歩とか3四歩とか、符号だけを言いあって指す、あれと同じですね。

 幕末に、石本検校という人がおった。ちょうど天野宗歩のおった頃です。天保から安政にかけての、あの時代ですね。

 ところが石本検校、いくらやっても宗歩に勝てない。とうとうハラをたてて、

「わしの目があいておったら、負けやせんのに」

 と言いだした。それで宗歩いわく、

「では、盤なしでやろう。しかし盤があるかないか、あんた、見えんだろうから、道を歩きながら指そう。それでどうだ」

「ああ、それならいい、やろう」

 というんで、やりだしたところが、しばしば石本検校が立ちどまる。立ちどまってようやく考えて一手指すと、打てばひびくように宗歩からパッと手が返ってきて、しかもそれがどかんと目から火が出るような手だから、検校、前へ進めんわけだ。

 それでとうとう、負けてしもうた。「もうあんたにはどうこう言わん、頭をさげる」いうて……。

 この宗歩は段には七段ですが、実力十一段とも十二段ともいわれ、とにかく名人よりも一枚うわ手の”棋聖宗歩”と称され、しかも非常に早指しだったんです。

 天野定跡というのがありまして、これを「将棋精選」という。家元の極意秘伝とかいろんなことをしてあるやつを自分で修正して、より完全なものにして、著書のなかに発表した。それだけ、実力があったわけです。

 この宗歩の定跡集が、百年、もつわけですね。昭和の初期頃まで、ずっと……。これさえマスターすれば、もう高段者になれる。いや、平手ばかりしゃありません。香だとか桂だとか飛角だとかを落とした場合の定跡もずっと出ておる。いまではもう平手などはさらにぐっと修正されて、天野定跡よりは新しくなっておりますが、しかし引き駒をした、ハンディをつけたぶんのは、いまもこれが基本として残っているほどです。

 とにかく、私どもには非常に身近な先輩である関根(金次郎、十三世名人)、土居(市太郎、名誉名人)、坂田(三吉、贈名人)にしても、この天野定跡を学んだというんですから、偉いもんです。

 ぼくもこの「将棋精選」は初段ごろに読んで、感心しました、偉いもんだなぁと思って。いまだに感心しますよ。よくまあこれだけやったもんだと……。その将棋のなかから、私流の考え方があって、自分の創意を加えて、勉強になりましたねぇ。

 ですから、われわれ将棋界では、天野宗歩を、近代将棋の母ともいっております。父は九世名人の大橋宗英(六代)、この弟子に大橋柳雪という凄いのがおって、宗歩はそれともやって、鍛えられておりますね。

『王手 ここ一番の勝負哲学』升田 幸三 p127-p129より引用


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